ヲタ生産5年計画

私には出会って5年になる友がいる。仲良くなったきっかけは、高校も部活もクラスが一緒だったこと。スラッとした綺麗な顔立ちで聡明で性格もよい彼女。しかし彼氏いない歴20年。彼女には大きな難点があった。


彼女はジャニヲタなのだ。
強火山田担というヤツである。


知り合ってから、彼女がジャニヲタであるということは割りとすぐに知った。私も、fcがy&jだった頃、母と親子でNEWSにどっぷりハマっていた。山下くん脱退で相当なショックを受け典型的なヲタ卒をしたのだが、その後もゆるゆると関ジャニ∞のコンサートにいったりしていた。そんな私も中学に入り、恋をして彼氏ができ、彼の「ジャニーズやめて」の一言で華麗にゆるヲタからも卒業した。母は現在も引き続き手越担であり、毎日「手越~~~」と言っている。だからジャニヲタに関してはなんとも思わない。むしろウェルカムな方である。



彼女は早売りが出回る度にLINEで山田くんの画像を送ってくる。「(私)ちゃんに送りたくなっちゃう~~~」といって毎日毎日送りつける。私は、さほど山田くんに興味もなく、むしろHey!Say!JUMPに対して『顔がいいだけジャニーズ(ごめんなさい。土下座)』と思っていたくらいである。彼女はLINEでの会話の合間に山田くんを挟んでくるので(スタンプ感覚、むしろ文字より画像)、ろくに会話もできず、いつしか私は彼女の山田くん送りつけ攻撃を『山田テロ』と呼ぶようになった。ここまではいい。まだ許せる範囲だった。



いつかは忘れたが、高校の頃、彼女はぐったりしょんぼりして学校に来たことがあった。いつもケロンとしているのにほんとに暗いし、風邪なんてひきもしない彼女がそんな状態だったのは私にとって驚きだったので、「どうした」と聞いてみると、「山田に嫌われたぁ(´;ω;`)」「もうやめよっかなぁ(´;ω;`)」と。…なぜこんなにも彼女が落ち込んでいたのかというと、コンサートに持っていったファンサ団扇を山田くんに冷めた目で見られた、つまり山田くんに『干された』からである。正直、私がヲタクをやっていたのは小学生の頃。ファンサ団扇なんてなくとも、NEWSのみんな(山下くん)は気づいてくれていた(子供にはよく構ってくれただけ)。そもそもファンサ団扇文化は私の中には皆無であり、ペンラと顔団扇参戦が当たり前だった。だから私には、『干された』気持ちがわからない。なぜそこまで凹むのか、そもそもあんなに大きな会場で、何万人のファンの中の一人である彼女に気づき、ファンサをしてくれるということは奇跡ではないのか、むしろ、『山田くんが冷たい目を向けてくれた』ということはポジティブにとらえると『気づいてもらえた』ということではないのか、と私は思っていた。この頃から私は彼女はただのオタクではない、彼女のほぼすべてが山田くんに染められている、どうしようもなく沼にはまっていたのだ。


それから4年。「山田テロ」は続き、私はJUMPファンでもないのに、髪形だけでいつの山田くんか分かるようになった。それだけでなくあらゆる情報を彼女から得た。山田くんのことはもちろん、『シノブ事件』など、他のメンバーのことも多々知っていく。JUMP担はファンサをもらうべくコンサートへ行くことも知った。「山田テロ」に対して私の返しは「やめろ」「いらん」「きもい」(本当にごめんなさい。土下座)だったのが、「まぁきれいな顔はしてるね」「うん、盛れてる」に変わった。「JUMPの中なら高木くん有岡くんかな。」と思うようになり、金田一少年の事件簿掟上今日子の備忘録を自主的に見るようになった。彼女が送ってくる画像の中で気になるものがあれば保存したりした。セブンくじで山田ハンガーを手にいれるべく、地元のセブンイレブンを何件もハシゴした。何回もくじを引き、店員に冷めた目で見られ、店にならんだ山田くん(ハンガー)に嘲笑われ(そんな気がした)、それでも私は諦めず引き続けたが、結局セブンくじ最高成績はB賞ポシェット。「B賞だからスゴいよお‼」店員に励まされた。私がほしかったのは山田くんだ。
そんなこんなで私は成長した。もう一度いう、成長した。



そしてとうとう、彼女が「(私)ちゃんとコンサートいきたい!」と言い出した。まあ、旅行がてらコンサートも悪くない、むしろこれは一種の観光だ、彼女が人生の半分以上を捧げた山田くんを見物しようじゃないか、そう思い、「うん、いいよー」と。
ただコンサートにいくだけでは面白くない。私はコンサートが好きだ、母に付き添って関ジャニのコンサートへは年に何回か行っているが、毎回予習はしっかりしていく。今回も例外ではない。なので彼女に直近4年分のDVDを借り、早速帰宅途中車のナビでみた。彼女の『山田テロ』で何度も目にしたエロい山田くんを見るべく、とりあえず私は真っ先に『Smart』を手にし、『Yes』を見た。……やられた。見てはいけないものを見てしまった。高木くんに惚れた。運転中でダメとはわかっていたが、興奮して叫びまくり、誰かとこの興奮を共有したいと思い、別れたばかりの彼女に電話した。「やべえね!!!!やべえよ!!!!!」そして『Yes』が終わり、「にっぽんのほこりあいど~~~る」と流れた瞬間、私のヲタク魂に火が付いた。


これが私のオタク復活劇の始まりである。
私は有岡担になった。



それからというもの、DVDやCD借りまくり、父が録画していた(父は48グループ推し)過去何年もの歌番組を見漁るという四六時中JUMP漬け。JUMPは顔だけではない、仲の良さ、ぴったり揃ったダンス、釘付けになった。彼女からの山田くん送りつけ攻撃を『山田テロ』とは思わなくなった、むしろ山田くんに対して愛着がわいてきた。可愛いと思うようになってきた。フリマアプリや中古品取扱店に入り浸り、歴代の有岡くんの団扇をすべて手に入れた。あれだけ通いつめても手に入らなかったハンガーを1ポチで手に入れた。JUMPの出ている番組、ヒルナンデス、すべて録画し、歌番組の前の日はHDD要領空け問題に頭を悩ませた。有岡くんの初表紙、duetは5冊買った。1店目で3冊買い、ふと通りかかった本屋に行くと売り切れたとのことだったので、これはあかん(何がいけなかったのが自分でもわからない)と思い、地元の本屋をハシゴし、その店にあった最後の2冊を買い占めた。一店目の店員のおばちゃんに「3冊も買ってどうするの?」と言われたので「見る用と保存用です」と答えた。(じゃあ2冊でいいじゃない…という目をしながら)笑っていた。最新アルバム、『DEAR.』初回限定版2つを予約した。フラゲしに行くと店員に「通常版、連れ帰りません?」と言われたので「連れ帰ります」と答えた。(チョロいなコイツ…と思っただろう)笑っていた。ツアー当落発表日、600件ほど『ありおかくん』に電話をかけ、やっとのことで繋がったと思えば落選。火がついた。積もう、積むしかない。と思った。100均で材料を買い込み、ファンサ団扇を大量に作った。何度も何度もファンサをもらう自分を想像した。



こうやっていとも簡単にヲタクになった。元々ヲタクだった私はきっともっと早くヲタクになってしまっていたのではないか、今ではなぜもっと早くヲタクになっていなかったのだと後悔している。そもそもなぜ私は今さらヲタクになったのか、それは彼女の5年計画だ。高校時代からほぼ毎日『山田テロ』を仕掛け続けた彼女の5年計画の性だ。私はまんまと引っ掛かった。今だから思う、『山田テロ』に対して、「きもい」「やめろ」といっていたのは私の自己防衛だったのではないか、と。ハマってしまうことは誰よりも私がわかったいたのではないか、と。


今回のツアー、初めてのJUMPは大阪公演。1人で行った。初めてが1人。私をこの道に引きずりこんだ彼女よりも早くツアーに参戦することになんの違和感も感じなかった。一人だったが冷静に参戦した。有岡くんが団扇に気づき、手を降ってくれた。満足であった。公演が終わってすぐ彼が友達と言い放つ肉を食い、きっと彼も好きであろうビールを飲んだ。旨かった。落ち着いた参戦だった。そもそも10月の横浜に彼女といくのが私の初めてになるはずだったのに、待ちきれず大阪公演を積み、今週の福岡のチケットも手にしている。そして北海道行きの飛行機も手配している。横浜は彼女ともう1公演積もうと話している。名古屋も行きたいと考えている。そのためには金がいる。海や川やプールで遊んだり、男女でBBQをしたり、海外旅行へ行ったりと充実した夏をおくる同級生のパリピなインスタグラムを見て、多少の、いや、相当な虚しさを感じながら、六本木で目撃されるパリピな自担のためにせっせと働いている。



もし、ヲタクになっていなかったら、私もパリピな夏をおくっていたのだろうか、とも思うが、私は今が一番幸せであり、ヲタクしている自分が大好きだ。



六本木で目撃されるのはパリピだからではなく、ポケモンを捕まえにいっているのだ、信じながら、これからもせっせと働いていこうと思う。